Loading...

ごあいさつ。


こんにちは。登山ガイド・スキーガイドのたむ屋マウンテンです。
どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。
                                                   たむ屋マウンテン/田村茂樹



2018/08/12

お山で亡くなりし御霊に。

忙しくて1ヶ月ぶりの投稿になってしまいました。

さて、フェイスブックで投稿していた北アルプス奥地の旅の種明かし編をお届けしたいと思います。長くなりますですが、山とは切っても切れない話なので、お付き合いいただければ幸いです。

実は今回は、山小屋の方から相談されて、息子さんが遭難されたお母さんのご案内でした。
息子さんは、GWに高瀬ダムから入って上高地まで抜ける計画で、途中の詳しい計画は記されていませんでしたが、裏銀座縦走と見て間違いないでしょう。入山二日目の朝に友人とLINEでやりとりしていたものの、目撃証言が高瀬ダムしかないもので、果たしてどこまで無事に行動できたのか、悪天候による行動変更があったのかどうかなど肝心なことは客観的には何もわかっていません。行方不明になってから約2週間後にヘリコプターと稜線から捜索が入っていますが、手がかりはまったく得られず、捜索は長期化しました。警察としてもそれで見つからないとなるとなかなかそれ以上何かをすることもできないので、お母さんは個人的にいろんな人に頼んで、探してもらったり、自分も現地に行きたいと山登りの練習をしたり案内を頼んだりしていました。それでも、結局2年以上の間、どちらも叶わず、前回現地までの案内をお願いしたガイドさんが都合が悪く、巡り巡って私の所に話が来たのでした。



大町に来る度にこの張り紙を見て切なくなる、と仰るお母様。

手がかりがない中でどう探すか、いろんな考え方があると思いますが、お母様は息子さんの霊を呼び出してお話を聞くことにしました。具体的な場所はわかりませんが、息子さんが語った状況から考えて、このあたりだろうということがわかりましたので、そのあたりの捜索、できればそこまで連れて行ってほしいというリクエストをいただいたのです。私は捜索のプロではありませんし、岩登りがそこまで得意なわけでもありませんが、そういう方ならば自分にもできることもあるかもしれないと思って引き受けたのです。


登山口でまず、今回の山行の道中の無事、お母様と息子さんの再会、息子さんの御霊の安寧を祈願し、入山しました。お母様は息子さんが遭難されてから山を始めたにもかかわらず、頑張って烏帽子小屋に到着しました。翌日は、岩場が苦手な上に疲れが出たのか、野口五郎小屋から急にスピードダウンしてしまいましたが、自分の足でそこまで行くことに意味がありますので、お手伝いはせずに歩いていただきました。



山中異界。その始まりが隧道というのは意味があります。
あの稜線を目指します。
ひたすら急登5時間。


ようやく登りきって下界が望めました。
まだ行けるということだったので烏帽子岳へ。
これも修行ですね。






彼方へと続く道。生きていても亡くなっても、道は続く。
ここにもひとつの命。
初日の疲れが早くも溜まってしまったか、しんどそうでしたが、それもまた山。
お世話になる水晶小屋が見えてきました。

お母様が探したいのはこちらだそうな。
歩きながら下降点を偵察していきます。

客観的に考えれば、こちら側もありえるし、ハイマツに引っかかれば到底探しきれませんが、
身も蓋もなく言ってしまえば、気が済むことが大切。

東沢乗越にあるお地蔵さま。
こちらもとある遭難者のお母様が安置したものだそうです。
ここかな。

3度目にしてようやくここまで。
重荷を背負っての岩場は大変なのはわかっていますが、敢えて手助けは最小限に。

最後の登りは疲労困憊の体には堪えますね。最後は気力です。

現地までがそんな状況だったので、翌日からの沢の下降は三俣山荘の伊藤圭さんとふたりで行ってきました。歩きながら偵察していて、東沢乗越からは下っていけそうだったので、翌日は東沢乗越から下降し、目的の場所のうちの1つまで、残り2つはかなり難しそうだったので後回しし、その周辺を見てから、まだ捜索していない湯俣川までの間に何か流れ着いていないかを見ていき、伊藤新道から三俣山荘に戻ることにしました。これが思いのほか大変で、ワリモ沢の下流の廊下に入ってからは徒渉にガレの突破にとアスレチックの連続でした。そんなわけで、出合に着いた頃には、ようやく生きて帰れた~と思ってしまう始末。でも、まだ時間はあるし、歩き慣れた道なので、がんばって帰るぞ~と意気込んだものの、湯俣川からの尾根の急登に足が上がらず、着いたのは17時。4時に水晶小屋を出発してから13時間の行程でした。


下り始め。
なだらかそうに見えて急な下り。滑っても死なないとはわかっていても嫌な斜度。
下から見上げる。
最後は藪漕ぎで本流へ。
本流の上部には雪渓が隠れていました。上からは見えにくい。。。
探してほしいという沢の上部に向かいます。
雪が少なく雪融けも早かったので、クレバスがぱっくり。
登りだしからは想像が付かないくらいの急流です。
ワリモ沢はかなりの範囲がまだ捜索できていないので、
そのまま下って湯俣川を目指すことにしました。
行けるところまで。。。
この先はふたりの技量と今回の装備では大変と判断して、ここで引き返しました。
途中にデポした我々の荷物。2箇所に分けておいていますがわかりますか。
遺留品を捜すというのはこういうことです。
ちょっと薮がかぶるだけでまったくわからなくなります。
稜線を背にどんどん下っていきます。
お弁当を開けてみると、裏メニューの特製でした。
涙が出る有り難さ。力になりました。
途中で見つけた遺留品。
違う人の物のようでしたが、ここまでばらばらになってしまうと、
たまたま上を歩かない限りわかりません。
沢は幅を狭めて険しくなっていきます。
熱水地帯が近づき、岩の墓場となっていました。
岩を渡り、壁をへつり。。。



そしてようやく湯俣川へ。

湯俣川に出るのでも大変だったので、尾根に取り付いてからの登りは足が進まず、
久しぶりに気力で登る趣になりました。



頑張って、頑張って、ようやく庭園。
そして、ようやく小屋のある鞍部が見えました。
この喜びを何に喩えるべきか。そんな一日でした。

お天気と日程の都合で、探せたのはこの1日だけでした。

山の中で、息子さんのいろんなお話を聞きました。
山登りをやりたくて山岳部のある高校に入りたかったけど入れなかったこと。山岳部に入った中学校の時の友達とときどき一緒に行っていたが、基本的には単独だったこと。冬山に魅せられて、山岳会に入って本格的に教わろうとしていた冬に怪我をしてしまって教われなかったこと。 それが開けたGWに、そんなに冬山の経験もテント泊の山行経験もないのに、裏銀座縦走に挑戦して遭難してしまったこと。
優しいけど、いったん決めると猪突猛進になって、引き際を考えずに突っ込みがちなこと。人にあれこれ言われるのが嫌だったこと。冬山を登ることに関してお父様に猛反対され、それ以来、家族にも山のことを話さなくなったこと。しかし日記には書き残していて、遭難を機にそれが見つかって、本人の思いを初めて両親は知ったこと。。。
いずれも身に覚えのあることだけに、何とも切なくなってしまいました。

客観的にいえば、自分の技量を弁えずに一足跳びに無謀な挑戦をしたために起きた事故。そういう観点で他の人に注意を促すのは大事なことですが、遺族の救いにはなりません。ココヘリのような位置を常時発信してくれる端末も持っていなかったため手がかりがないので、探すのも切りがありません。結局、できるのは、祈り続けること、でしょうか。

これまで考えたことはありませんでしたが、よくよく考えてみれば、どの山をとっても、数え切れないくらいの人がその中で命を落としてきたわけです。今回、初めて遭難者の遺族の方の想いに触れて、また自分が山伏としてなすべき仕事を得たような気がします。山で亡くなった人たちの御霊を慰めて歩くことです。

そんなことを考えながら、お母様を麓までご案内して家に帰ったら、風邪をひいて熱を出して寝込んでしまいました。心身の疲れが溜まったのか、はたまた、誰か連れて帰ってきてしまったのか。何となく行きたくなって、有明山神社にお参りに行って勤行して、憑きもの落としをしてきました。


そんな1週間でした。お盆明けは剱岳からまた始まりです。

 
TOP