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ごあいさつ。


こんにちは。登山ガイド・スキーガイドのたむ屋マウンテンです。
どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。
                                                   たむ屋マウンテン/田村茂樹



2018/11/11

馬頭観音出現の地を訪ねて。~富蔵山~

間がない中、一番の地元ということでできる限りの準備を重ねて迎えた善光寺街道協議会主催の富蔵山探訪の旅。善光寺街道に限らず街道歩きの好きな方々や、これまでの会の10年間を支えてきたお歴々を前に、緊張しながらもなんとか無事にご案内してきました。富蔵山は修験の道場でもあった歴史がありますので、もちろん私は白装束でご案内です。

お断り:山に慣れていらっしゃらない方も含めて35名様をご案内につき余裕があまりなく、当日以外に撮った写真もありますがご容赦ください。

西条駅から出発して、片道2里強の道程。
軽く体を温めて、西条の街並みをいつもよりゆっくり見ながら出発します。
明治時代後半になってから岡谷の製糸工場向きの石炭の運び出しが盛んになり、昭和初期からは西条白菜もそれに加わって長らく長野県下第1位の貨物輸送量を誇ったため、今となっては普通の便利な田舎にしか見えない西条駅ですが立派な引込線があります。
当時のレンガ造のプラットフォーム。
今回は資料も作ってほしいということで、資料は早めに集めておいて、そこから半月ほどの突貫工事で作りました。ということでチラ見せ。
地名やお寺さんの概略。
本尊の馬頭観音について。

まだまだ地区の長老方からの聞き取りをしたり古地図を見せてもらったりして確認しなければならないことは膨らませたい内容は山ほどありますが、とりあえずはこんなところで。

さて、今の西条郵便局昔あったという地蔵堂のところから、
明治になって石炭採掘で栄える前の元々の西条宿の街並みへと入っていきます。
そして今回の目玉のひとつの観音寺。
紆余曲折あって、明治時代の学校校舎をお寺の本堂に流用したという珍しいものです。
いつもよりも時間があったので、ゆっくりと拝観させていただきます。

この大絵馬は奥の院にあったもので、この中に一頭だけ紛れている牛を見つけられると来世で幸せになれると言います。これが一番有名ですが、戦後しばらくまでの牛馬が重宝されていた時代の名残を思わせるものが至るところに展示されています。
毎年の縁日で行われた草競馬での記念写真。
二等をとったというこの方は群馬県の長野原からいらっしゃいました。
この方は嬬恋村から。
長野県では東北信、群馬県西部や山梨県など県外の方も相当多かったと聞きます。
この絵馬は馬を使った運送組合の方々の奉納。

近くでは松本の寿から。

ゆっくりといろんな写真や絵馬を見れたことで、
昔の人々の牛や馬に対する想いを少しは感じ取っていただけたかと思います。

時間もあるので今回は西条の裏通りをご案内。
裏に回れば畑や田んぼ。
ある意味当然ですが、こういうのは実際に歩いてみないとなかなか実感できないものです。
古地図などを確認できていないのでおそらくですが、
明治初期の廃仏毀釈でなくなってしまった観音堂の跡。
立派な木が往時の雰囲気を感じさせてくれます。
同じく、鎌倉時代の僧侶である心地覚心が富蔵山で修行するために寝泊まりしたと伝えられる法明寺の跡。歴代住職の無縫塔が現存するが、今となってはこの通りで心苦しい限りです
寄り道はこのあたりにして、西条宿から富蔵山への分かれ道の道標。
天保年間の建立で、富蔵山まで18丁と書かれています。
富蔵山の常夜燈。
中山を越えて、小仁熊川の辺からいよいよ富蔵山に向かって登っていきます。なお、この山道は最近では観音寺関係でも年に1回数人が登るだけになってしまって草だらけになっていたので、事前に草刈りしておきました。これを機に整備を続けていきたいと思います。
今回は35名様のご参加で本職の登山ガイドは2名のみなので、普段の登山ガイドのように安全管理のすべてを我々が担うのは無理ということをお断りした上で、リスクを最大限減らすべく、ファーストエイドセットやロープなど装備は普段のガイド通りに持ち、さらに無線で連絡を取り合うことにしました。

こんな感じで緩やかに登って稜線に出てしばらく行くと、突如として岩場に出ます。
左岸に彫られた階段を上ると、、、

人工的に掘られた穴。建物?門柱?幟立て?
これは当時を知っている人がまだ生きているかもしれません。
秋山明浄にして粧うが如し。いい色です。
岩殿山や聖山を頂点に、修験の行場として栄えた山々に囲まれています。

そして、奥の院の観音堂が見えました。
往時の雰囲気を覗わせる立派な造りですが、建て増しした部分は造りが甘く、
だいぶ傷んできて心配なところです。

そしてこれが岩屋。
手前に祭壇が彫ってあります。
覗くととこの通りですが、この場の雰囲気の1%も伝わらないことを断言します。
その場に行けば、あぁ、ここなら馬頭観音さまが現れたと言われても素直に納得できる、
それほど素晴らしいところです。

さて、詳しく見てみると、、、


今とは違う材が当てられていた跡があります。
おそらくは前の覆屋の跡だと思いますが、
いつどのような事情で立て替えられたかは今後の調査課題です。
事前の下見で検討を重ねている様。
堂の部材には明治時代の落書きもあります。いつの時代も変わらないものですが、
それだけここに来ることが大きな意味を持っていたということもよくわかります。


山頂もご案内して、修験道場でもある富蔵山の空気を存分に楽しんでいただきました。

牛馬信仰の歴史とは別に、修験道の行場だった歴史があることもあり、道の痕跡がそこここにあるので、また後ほどゆっくり歩き回ってみたいと思います。併せて、登山道の整備の継続、聞き取り調査、古地図の閲覧など、引き続きがんばって、散逸しかけている富蔵山の刻んできた歴史をできる限り引き継いでいきたいものです。

 
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