さて、善光寺に向かう道はどれも「善光寺街道」でたしかに「善光寺街道」と呼ばれていますが、ただ「善光寺街道」といった場合には北国西脇往還を指すのはなぜなのかと常々思っていた疑問が今回ようやく解けました。うっかり写真を撮りそこねてしまったのですが、こんな道標があります。そこには、「左せんかう寺道、右いせ道」と書いてあります。なぜ伊勢からこれだけ離れたところに伊勢道の案内があるのか。。。
答えはこういうことです。江戸時代には善光寺参りやお伊勢参りが流行り、どうせ片方行くならもう片方も、、、という人も相当数だったようです。善光寺と神宮の間を最短で行き来する道のうち、善光寺に近い部分を取り上げて特に「善光寺道」と呼ぶようになったということです。
さて、麻績宿から善光寺に向かってしばらくの上田道との追分から出発です。
ここの道標は聖博物館に移設されてしまっています。 その場になければ道標は意味がない。 これでは誰がどういう意味合いで立てた道標かまったく分からない!こんなことをするのはここくらい とさっそく吠える熱き案内人。 |
こんなところもあります。 |
馬頭観世音の碑。 「馬頭観世音」などと文字だけ彫ってある文字碑の多さは当時の日本の識字率の高さの証です。 |
これより市野川集落へ。 道祖神の代わりに南無妙法蓮華経の文字碑があります。美しい書体です。 |
一里塚跡の碑。 |
市野川集落を行く。 |
市野川神社の一の鳥居と高札場跡。 高札場に選挙ポスターの掲示板があるのは実に正しい姿です(笑) |
馬宿も残っています。 |
たけがきにたてたけたて、、、 たけがきにたけたてかけた。 |
峠側の出口にも南無妙法蓮華経の文字碑。 |
ここにお堂があり、ご住職が峠越えで行き倒れた人々を弔ったとか。 |
今は林道になってしまっていますが、山道に入っていきます。 |
お仙の茶屋跡。往時は峠を挟んで9軒もの茶屋があったそうで、 今風に言えば、9軒もドライブインがある大幹線道路ということになります。 |
山道を登って登って、猿ヶ馬場の池(現:聖湖)に到着。 もともとは北側のみで葦原が広がっていたのを昭和の開発で広げたとか。 |
街道を外れて、昭和の開発のときに作られた聖博物館へ。 |
湖畔を行く道の冬の道標に立っていたお地蔵さまたちも今やここに移されてしまっていますが、 やはりその場にあることに価値があります。 |
善光寺参りの旅人たちが土産に求めていったの版画。 今の人たちが写真を手に土産話をするのと同じ感覚ですね。 |
現存する高札。 |
講と宿場と旅館組合と運送業の深い関係。初耳でした。 |
これが最初のところにあった道標。 説明もなく、見る人が見ないと分からない代物。もう少し配慮がほしいところです。 |
来年は猿ヶ馬場峠から姨捨を経て郷原宿へ。そして行く行くは自分でも案内したいものです。