いよいよ稜線の抖擻へと赴きます。
まずは奥の院の岩場から。 ホールドもスタンスもあるのに、岩登りが昨秋以来なので、 傾斜が立っているというだけで少し緊張します。リハビリ、ですな。 |
続きましてビビリ岩~。 |
山麓がかなり下に見えます。 |
大の字があんなに下に! |
続きまして背びれ岩~。 落ちたら嫌だしセルフビレイ取ろうかと思いましたが、 傾斜もそれほどでもなくホールドスタンスも豊富なのでフリーで。 でも、自分がガイドするとしたらどう安全確保する?としっかりイメージしながら登ります。 |
大覗きに到着~。 きっとそういう行場に使われたのでしょうね。 御嶽三社大神と妙義の山々にに祈ります。 |
写真ではなかなか表現できませんが、稜線に辿り着くまでもひたすら急登、稜線に着いてからもひたすら登り下りの繰り返し。さすが修験者たちの山です。修行に占める奥の院の意味合いも少しわかったような気がしました。あそこで祈ると、集中力も研ぎ澄まされるし、稜線の抖擻に臨む心構えをここで作りなさい、ということだと思います。
大覗きからの下りはちょっといやらしい感じ。傾斜はそれほどでもありませんが、 岩肌がツルツルお肌です。 ザイルを持ってきているので迷わず懸垂下降で下りました。 |
稜線上にはこんな心安らぐ緑の世界もあります。 岩での緊張を解きほぐしてくれる新緑です。 |
でも岩場もしっかりあります(笑) 結局は下りきるまで気が抜けません。 |
岩穴をくぐって、茨尾根のピーク。 |
歩き続けている甲斐あって、景色が少しずつ変わってきます。 |
堀切を過ぎ、さ、ここからが真の核心部です。 |
この先、というかこれまでも十分危険だったんですけどね(笑) よくよく説明書きを読んでみると、 鎖や梯子は安全を保障するものではなく、補助的なものなので、その安全性は各自で確認し、 もし危なそうと感じたら個々の装備で対応してください、 とのこと。 このレトリックは非常に良いと思います。もっとも、明示されていないだけでどこの山でも 本来そうだと思うのですが、そう思われていないのはとても残念なことです。。 |
まずは小手調べにお椀の壁状と形容されるの岩壁トラバース。 行ってみるとたったこれだけ?と思うのですが、湿って苔生しているし、足場は全くなく、 鎖がなければ難易度がとてつもなく上がりそうなところです。 念のためセルフビレイを取って通過します。 |
いよいよ本番、鷹戻しの前に、滑落された方に向けて合掌。 |
ここから一気に登っていきます。 足場もあるし傾斜も緩いのでまだ序の口。 |
凄絶な景観です。 |
お次は梯子。却って楽です。 |
さあ、ここからが核心。 ここは岩肌が滑らかで鎖が頼り。そういうところに備えて、足場がしっかりしているところは しっかり足で支え、腕や指の筋肉の消耗を抑えるのが肝要です。 |
きれいだなぁ、なんて言ってる場合じゃない!!(笑) |
1ピッチ目だけでも上から見るとこんな感じ。 |
少し楽になりますが先はまだまだ長い! |
天に向かって伸びる鎖。 |
登って上から見るとこんなん! 同じガイドクラブの先輩が別のシビアな壁で「ハートで登る」ってことを言ってましたが、 まさにそんな心境。その言葉ってきっと修験道にも通じるような気がします。 |
片側が切れ落ちていますが、ようやく一息。 つきすぎると事故の元なので、あくまでも緊張を保って。 こういうところが仕掛けとしてよくできているなと思います。 |
そして、鷹戻しの頭。 |
絶景なり~。 そして、登ったら下らないといけません! |
緑に癒やされるのも束の間。 |
こんどは下りの壁の連続。 |
ホールドスタンスはそれなりにありますが、斜度も斜度ですし、 長丁場の疲労も溜まってきているので、懸垂下降オンパレードで下ります。 |
ビレイグローブはなぜかスティール(笑)
結構調子いいです。 |
景色を楽しみながら登り下りを繰り返して中の嶽へ。 ふたたび祈りを込めて精神を集中させます。 |
残りの鎖場はそれほどシビアではありませんが緊張感を保って。。。 |
下り口に向かうこのロープが実は一番怖いかも。 上は枯れ木に結ばれているし、トラロープはだいぶ老化しているし、張りが緩いし、 かといって他に適当な確保点もないので、別ルートで下りました。 |
戦艦ナントカみたいな岩峰。。。 長かった稜線歩きもこれで終わり。鞍部から下ります。 |
が、初っぱなはやはり鎖(笑) いずれにしても急な下りなので、下りきるまでは気を緩めることができません。 |
さっきいたのはこの壁の上、だったんだなぁ。 |
中間道のあたりの見晴らしから見上げると、、、もうこんなに下りてきました。 凄い山、でした。 |
下山は中之嶽神社へ。 無事下山のお礼を申し上げます。 |
たっぷり9時間、駐車場までの歩きを含めれば10時間半。
山で祈る、山で修行する、山を感じるということの意義を体で感じながら歩けた一日でした。