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ごあいさつ。


こんにちは。登山ガイド・スキーガイドのたむ屋マウンテンです。
どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。
                                                   たむ屋マウンテン/田村茂樹



2015/12/13

母島上陸。(後編)~小笠原探訪記その5~

れではいよいよ島の中のお話をしていこうと思います。時間がかなり限られていて半日しかなかったので、母島の中でも見どころとなるところを駆け足で案内していただきました。



まずは母島を一路南へ。

東京都道最南端がありました。
この看板は薪炭材として持ち込まれた外来種のアカギの伐採材を再利用して作られています。
木を枯らすために薬剤を注入した跡。
枯らした後は嵐などで自然に倒れるのを待つとのことです。
今でも残っているものはこんなに大きくなって林冠を覆ってしまい、
在来種が成長する上で大きな阻害要因になってしまっています。
萠芽する力が非常に強いので、ただ根元から切るのでは駆除にならないのが悩ましいところ。
まさに薪炭材向きの樹種です。



なかなか内地では見ない交通標識です(笑)


夏、ですね。
おなじみタコノキ林。


島の中にはこのように低い柵で覆われた区画があります。
柵にはこんなトラップがあります。
小笠原群島にはグリーンアノールという外来種のイグアナが広がってしまい、これによって陸生の昆虫は絶滅あるいはその危機に直面しています。現状を打開するために、特に希少生物の多い区域をこのように保護しています。

今度は母島の北端、戦前の北村部落の跡にやってきました。

この湾には桟橋の跡がありました。
戦前はこんな感じだったそうです。山の上までサトウキビ畑になっています。
小学校跡にやってきました。
戦前はこんな感じ。
ガジュマルが生い茂り、とても往時の姿を想像できません。
こうしたわずかな遺構から想像できる程度です。

 門から一歩足を踏み込んでみて、これはまさにラピュタだと思いました。自然と人間の力関係を思い知らされます。
 小笠原諸島はもともと無人島で、捕鯨船に補給物資を売って生活する人々が住み着き、内地に時季外れの野菜や南国特有の果物やサトウキビを売って生活する人々が暮らしてきた歴史があり、水を確保するのも困難なので、今に至るまでそもそも自給自足では生きていけない土地なのです。ラピュタからシータの台詞(※)を思い出し、そのような土地で生きていくことの意味を考えさせられました。

※「いま、ラピュタがなぜ滅びたのかよくわかる。ゴンドアの谷の詩にあるもの。『土に根を下ろし、風とともにに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう。』どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!」
 田舎暮らしを始めた今だからこそこの言葉は骨身にしみてよくわかるのですが、見方によってはバブル経済の当時としてはとてつもなくラディカルな台詞です。あの物語だからこそするっと通り過ぎることも可能な言葉ですが、ちょうどあの映画を見て影響を受けて育った世代に土に根差した暮らしを目指している仲間が少なくないのを見ると、感慨深いものがあります。



この日のおひるごはんはこちらのメニュー。



ごちそうさまでした!

あっという間に時間は過ぎて、お別れのとき。行ってきまーす!







また来るでね~。



 
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