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ごあいさつ。


こんにちは。登山ガイド・スキーガイドのたむ屋マウンテンです。
どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。
                                                   たむ屋マウンテン/田村茂樹



2017/06/11

古の峠を越えて。~善光寺街道 岡田宿―会田宿 その2~

回の続き。
いよいよ刈谷原峠越えです。峠の岡田側、つまりこれから登っていくところは「あだ坂」と呼ばれた難所でした。



右が北国西往還の刈谷原峠、左は明治になってから荷車で通れるように開削された馬飼峠です。
登る
登る。。。
途中に石切場があり、美ヶ原の麓の入山辺と並んで松本に石材を供給してきたとのことです。
峠の中腹になんと田んぼ!
日本人の米に対する執念を窺わせる風景です。
今では木が生い茂っていますが、地形を見るとここも明らかに元田んぼです。
道中に六字名号碑。天明寛政年間の善光寺別当大勧進貫主の等順の筆。
浅間山噴火や天明の大飢饉で精神的に疲弊した民衆を救う活動の一環で各地に名号碑を建てました。

そんな解説でひと休み。
まだまだ登ります。
今は林道になってしまっていますが、当時はここの小さい沢を登っていたと思われます。
林道は車が通れるように不自然にカーブしているのが根拠です。
実はこの峠道は戦後すぐくらいまでは石畳の道でした。
石畳を敷くのは大変ですが、いったん敷いてしまえばその後の管理は楽なので、
人夫を出す村にとっては大事なことです。
石畳ではなくなってしまった犯人はこれ。峠を越すルートで戦後に電電公社が電話線を敷設したのです。
石畳はいい石材でもありましたので工事請負業者が勝手に?処分し、今の状態になっています。
今でいう国道143号線は当時すでにありましたから、なぜそちらを通さなかったのか、電話線の回線容量や
速度など当時の技術の問題なのか、結局、電話線老朽化による改修工事で国道143号線沿いに
敷設されて今に至りますので、全く勿体ない限りです。
このあたりの事情は後ほど詳しく調べてみたいと思います。
難所であっただけに馬頭観音がたくさん祀られていますが、往時は100体近くあったとのこと。
それが今は十数体。全く残念なことです。
長かった登りもようやくあと少し。
岡田から標高差300m、最後の人家からたっぷり一時間かかってようやく峠に着きました。
往時は3軒の茶屋があったそうです。栗おこわと甘酒が名物。
茶屋には欠かせない水場跡。
残念なことに電電公社の工事のおかげで枯れてしまいました。


下りは苅谷原宿まで林道の下り。
こちらも本来は沢沿いを下りていたものと思われます。旧版地形図を確かめてみようと思います。
道中には美しい馬頭観世音菩薩。
本日2つ目の一里塚。一昔前までは塚がわかったということですが、今では跡形もありません。

砂防堰堤で沢沿いの本来の道は失われているので、残念ながら迂回します。
ようやく苅谷原宿が見えました。
ここに来てようやく本来の街道筋に戻ります。

宿場入口には道祖神。
と、立派な庚申塔。

こぢんまりしたところがまた良い雰囲気ですが、空き家が目立ちつつあるのは残念です。

鍵の手を過ぎ、、、
道祖神を過ぎて、
途中の村々を過ぎながら次の宿場の会田に向かいます。
板場にて本日3つ目の一里塚。こちらも跡のみ。


四賀の風景も好きです。


これまた良い雰囲気のお宅です。
お店をやっていたのですね。
木の札には郵便取扱所と書かれていました。
ここで浄雲寺さんにお参りします。
これも等順の六字名号塔。


昔は和尚さんは檀家さんの葬式には籠に乗って出向いたのだとか。
時間が押してしまったのでちょっと急ぎ足で会田宿に向かいます。
善光寺はあちら。
手の形が見えますか?
単なる偏見やイメージかもしれませんが、安曇野っぽい道祖神です。
いよいよ会田宿へ入ります。
街並みが良く残されています。
昔の写真と見比べると、この道幅もたぶん当時のまま。
こちらが本陣跡。
道標が不自然に折れて、「光寺道」になっています。
どうやら明治初期の廃仏毀釈運動の際に破壊されたものと思われます。
本日最後は会田御厨神明宮。
常夜灯を作った石工の腕を絶賛する案内人。さすが目の付け所が違います。
なんと高遠の石工の作とか。
参拝して本日の行程は終了です。
お疲れさまでした。

おまけで現代の道祖神。
車をデポした高速道路バス停にありました。



次回は7月に会田宿から西条まで歩きます。お楽しみに!

 
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