現状では別所中央ルートの登山口の駐車場として使えるところはないので、岩殿寺の駐車場に置いて15分ほど車道を歩いて登山口に向かいました。別所中央ルートの登山口にある公民館(旧別所学校跡)の駐車スペースを使わせてもらえないか、こんど役場を通して頼んで見たいと思います。ちなみに、寺沢ルートの駐車場としても岩殿寺に公式に断りは入れていないと思いますので、これも併せて交渉してみます。
40年ほど前に本堂を焼失したのちに再建されたのが今の本堂です。 今でこそ和尚も常駐しておらず人影疎らですが、これだけ立派なお堂を再建できたというその信仰の力と伝統に可能性を感じます。 |
通常のお寺と違い、本堂の前に馬の像がが安置されています。 元々は岩殿寺は修験のだったわけですが、近くの富蔵山(旧宝泉寺、現観音寺)と牛馬信仰の本拠を争うようになり、結果的に牛馬信仰を取り込んで現在に至ります。岩殿寺の経営上、昔は生活する上で欠かせなかった牛馬信仰を取り込む戦略をとったのではないかという方もいます。 |
これらの像や碑も、牛馬信仰の根拠ならではのものです。 さて、前置きはこれくらいにして登山口に歩いて向かいます。徒歩15分ほどです。 |
公民館の横手の道を入り、 |
道標にしたがってまっすぐ進みます。 |
その先は二俣に分かれていて道標がありませんが、右が正解。 |
この上にかつてあった日影や萩といった集落に向かう道だけあって、 整備の手が入っていない割にはきれいに道形を留めています。 |
馬頭観音様。 |
尾根の右側をトラバースしていきますが、その右下に日影の集落がありました。 いくらかまだ廃屋を見ることができます。 |
ほぼ手の入らなくなってしまったお墓。 なんとも気の毒に感じますが、お墓も死者の魂もこうしてすべて自然に帰っていくのでしょう。 |
さらに進んでいきます。 道形ははっきりしていますが、倒木はそのままです。 |
崩れやすい土目のところは道形が崩れて少し歩きにくくなっています。 |
萩まで行くと、稜線上に廃屋があります。 |
いろんな生活道具が散乱しています。これはちょっといただけない。。。 昭和らしいといえば確かにそうなのですが。。。 |
最後の集落(跡)なので、ここから本格的に登山道になっていきます。 |
近くにある立派な道祖神。なかなかこれほどの大きさのものは見ません。素晴らしい。 |
基本的には尾根を辿るルートですが、道形が崩れているなどわかりにくい場所も多く、 自分だったらどこに道を切るかを考えつつ、心の目で道を探して登っていきます。 |
このあたりはどうやら作業小屋などがあったようで、山の神?がありましたが、 こんなことになってしまっていました。 |
尾根のルートはやはり安定していますね。非常に歩きやすいです。 |
ただ、これには参りました。どうなっているかわかりますか? 向こうへと伸びる道形に何本も木が生えてしまっています。 こんなところもあり、道標も少なく、目印もほとんどなく、集落跡の周辺では仕事道も多いので、残念ながら、ルートファインディングを確実にできる人以外には現状ではまったくおすすめできません。 |
ふたたび尾根の快適な歩きに戻りますが、、、 |
尾根筋はこの通りなので、、、 |
巻き道がありますが獣道程度になっていたり、そんな場所もあります。 |
写真を出しても道形がよくわかりませんね。 |
ふたたび尾根筋のいい道になってしばらく行くと、このルートで特筆すべき、岩殿山の遙拝所があります。この先は険しいので、女子どもや年寄りはここから拝んだということです。 |
やっぱり「岩殿山」は三角点ではなく奥の院周辺の岩峰群なのだと、 この見え方からよくわかります。 |
それにしても立派な石碑。 大正年間に生坂村の石工が彫ったものだそうです。 |
山の神と馬頭観音の石碑を過ぎるともうすぐ稜線。 |
痩せ尾根を渡り、、、 |
棒渡し(桟橋上のトラバース道)を過ぎて、 |
稜線に出ます。どうしたことかここだけこんなに立派な道標が立っています。 |
このように、岩殿山を含めて信仰に関わる遺構が多く、昔の暮らしを感じながら、しかも下から登れるルートということで非常によいのですが、ご覧になった通り、整備状況は良くありません。敢えて通られる方は、くれぐれも道迷いしないよう、十分お気を付けてご利用ください。よろしくお願いいたします。
なお、寺沢ルートの整備が一段落し次第、段階的に手を入れていこうとは思っています。改善できればまたご報告したいと思います。