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ごあいさつ。


こんにちは。登山ガイド・スキーガイドのたむ屋マウンテンです。
どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。
                                                   たむ屋マウンテン/田村茂樹



2018/05/30

いよいよ善光寺街道ガイドデビュー。~善光寺街道 村井―岡田 後編~

の十王堂に到着、城下町に入ったところから後編です。

ここには善光寺大勧進の大僧都だった等順上人の名号塔もあります。浅間山の大噴火や天明の大飢饉に際して、物心両面から多大な貢献を行い善光寺の信仰を世に広めた方です。
生きることさえ辛い時代、南無阿弥陀仏を唱えれば死後は極楽浄土に行けるという教えはどれだけ救いになったことでしょうか。
街道歩きなので、今回は松本城は通過。
お城自体も面白いですが、城下町も面白いです。
野麦街道や大町街道を見送って、善光寺道は中町へと入ります。
今でも倉の街並みが残り、観光客にも人気です。

さて、ここからいよいよ私の担当。
今の国道にぶつかると北に進み、女鳥羽川にかかる大橋を越えます。
今となっては大きくもない橋ですが、街道筋の橋は「大橋」です。
その女鳥羽川ですが、元々は白の北西の方を流れていたのを壕を強化すべく今の流れに付け替えたと言われています。流れを直角に曲げるという荒っぽい普請のために洪水も絶えなかったということで、近くには鎮神社が置かれています。
堀を掘った土を盛った上土町。
観光案内所にある、昔の絵図を重ねた地図があるとわかりやすいのですが、
松本城の東の馬出から付けられた馬出町。
こちらは北の馬出。
東町の通りから東を見ると、今でも多くのお寺が見えます。東川から敵に攻められた場合には前線基地にできるようになっています。
地図がないとわかりにくいですが、反対の西側には通りは続いておらず、必ず鍵の手に屈曲しています。攻められにくくする工夫ですね。
今では旭町へと北上するように新道が開かれていますが、当時の街道はここ宝栄寺の角で西に曲がります。松本藩では明治維新に際して藩主が率先して廃仏毀釈を行い、菩提寺を自ら破却する有様でしたが、宝栄寺を始めとする浄土真宗の寺寺はそんな状況を疑問視して神仏判然令の真意を明治政府に確認したため、幸いにも残ることができました。
脇には江戸時代からの小路が今も残っています。
こういうことです。
道筋が変わってふたたび北上します。
しばらく行くと北の十王堂跡。
城下町が後になって広がったため、ここに城下町の木戸と番所が移され、
十王堂と位置がずれてしまいました。
信州大学近くの交差点。どれが正解だ~?
正解を進むと、美須々の交差点近くをななめに通る抜け道に出ます。
これがまさに善光寺街道。自動車の大通りを斜め一本貫いています。
岡田松岡の墓地にも等順上人と徳本上人の名号塔。お隣には光明真言曼荼羅の石碑もあります。
岡田小学校前の筆塚。なかなか見ない面白い筆塚です。
筆塚というと寺子屋や学校の先生の顕彰碑と思いがちですが、その名の通り元々は筆の供養塔。
その元々の意味を思い起こさせる趣です。
そして、無事にゴールの岡田神社に到着しました。
岡田のあたりは山が浅く水に苦労したようで、保食神が祀られています。



とまあ、長く書いてきましたが、現場でないとわからない面白さがたくさんありますので、興味を持った方はぜひ一緒に歩きましょう!
 
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